秋葉原の 「 あの日 」 からしばらくの間。
そして一年。
二年。
テレビであの事件について流れるたびに沸き起こる もやもや。
不安な気持ちが掻き立てられる もやもや。
もう二年も経つんだ。鮮明に覚えてたはずのもやもやも、少し薄れたのかな、なんて思ってたら マツダのニュース。
もやもや もやもや。
ぞわり。
大きな事件になればなるほど、大きく報道すればするほどに、
模倣するひとも、なぜか共感するひとなんかも増えてしまったりして、
オレもやってたかもしれないなんて 怖いことをぽろっという人まで出てくる。
やだな。
こういうニュースは二度三度と見たくない。
巻き込まれた方のご冥福をお祈りする・・・
するけど・・・祈ることに何の力もなくて
むしろ、ほんとうは、わたしの近くに居るたいせつな人たちの安全や幸福だけをただただ祈ってるのかもしれなくて
なんていうか
たとえば、突然 たいせつなひとを奪われる恐怖なんて想像することさえ・・・息が止まりそうになる。
こわい。
この、こわい と思う気持ち。
これもたぶん人間していく上できっと大事なんだろうとは思う。
日々にもっと感謝しなくちゃいけないんだ。毎日が当たり前に来ること。それがもう、しあわせだってこと。
忘れないこと。
忘れないこと。
だいじめも。
コメント
コメント一覧 (4)
心配して出張をほったらかして行ったのに、
結局帰る際に逆に「気をつけてね」と言われて道路で別れて何もしてやれなかった事。
ただ無事を確認して安心する事しか出来なかった。
知り合いが被害に遭わなかったって言うのも一因かな?
まぁ 痛ましい事件が多すぎてキャパを超えてるのかな?
事件の度に こんな事はこれで最後にして欲しいと願うけど
それでも事件は起きますね
寒い時代です・・・
ではでは
人は強くなれる。
そして大きくなれる。
いつか、痛みや悲しみもこわさも
あなたの力になってくれる!
お元気でしょうか???
ゆすらです***
この事件の当時の事は私も今でもよく覚えてます…。
当時、私はまだ学生寮で暮らしてて、実家からの電話で跳ね起きました。
誰よりも、真っ先に頭に浮かんだのは、大老さんでした。
何人もの人の命が奪われてしまった事件のその最中でさえ、
私は大老さんの無事を知り安堵で泣いていました…。
勿論、私も事件の事を忘れた日はありません。今でもあの交差点へ向かうたびに重い何かを抱えていたりします。
献花台で手を合わせた時、言い表せられない怖い気持ちを味わったのも忘れておりません。
私もこの歳まで生きて、掛け替えのない大切な人達が沢山増えましたので、「失うこわさ」が、少し解る気がします…。
大老さんの様に、事件を忘れずに心に留めて下さっている方が居るという事で、被害者の方々も、親族の方々も救われるのではないでしょうか…?
こういった事件が正当化されるなんて絶対あってはならない事ですし、
自分自身にさすかもしれない一瞬の「魔」に捕われないように大切な事を忘れずに生きなくてはと思い直しました…。
同じ時間を生きて助かったのですから、お互い強かに生きましょう!!!
「絶対大丈夫!」なんて言い切れる保証も確信も無いですが、
せめて「今、居る事」を大切にして、信じてください!!!
なんだか纏まりの無い文でごめんなさい…*´`*
ちょっとでも元気になって頂けたら幸いです*
*ゆすら*