ああ・・・ついに、母校がなくなるという感じです。






わたしは4年間勤めたJAMを

2008年の8月に卒業してから、もう4年になろうとしています。



あの場所で「おかえりなさいませ」と言いつづけた4年間と


今日までの4年間は、両方とても大切な日々ですが





             青 春 そ の も の 、だったのはJAMで過ごした4年間でした。 




 
正直、メイド喫茶やこの界隈のお仕事は 「続ける」 というのが難しいほうの業種だと思っています。
賞味期限がある従業員を抱え、ここ数年でわぁっとふくれあがり、即効でバブルが弾け
ただヲタクをターゲットにした営業スタイルだけでは 生き残れない、基本的に・・・激しく短命な商売です。

うっかり18歳からこの界隈に出入りしていて、およそ10年ほど「メイド喫茶のあるアキハバラ」を眺めてきましたが
それぞれのお店が独自の答えを求め続けて、様々な進化を遂げてきたのを見てきました。

JAMは「メイドさん」という特別な存在に「夢見ること」をそこまで売りにはせず(全然ないとは言わないよ!)
中の人たちを知れば楽しいけれど
中の人など個別認識しなくても落ち着ける場所。
なんでもない喫茶店とメイド喫茶のすきまくらいのお店。
(やってきた日がフェアリーズパーティだったらそれは別・・・☆)

初期はアイドルメイドたちがたくさん居て、すごい賑わいを見せていたJAMですが
(何度も言いますがあの頃はバブル)

最終的に、8年間をまとめると
過半数の人が 「なんでもない」JAMがいい と思って足を運ぶ場所になったと思います。


わたしは、そんなJAMがだいすきでした。 


なんでもない場所、ただ、帰りたいなーと思ったときに帰れる 家ではない、ちょっと特別な場所。

思ったより、ずーーーーっと、こころの拠り所にしている人が多いのです。 

わたしもそんな一人だし

アキハバラにはそんな「特別な場所」や「特別な思い」を大事にしている人が多く集まる。

終わらないものはこの世の中にないと、わたしは思う。
だからこそ続ける努力をして、 大切に大切にする。
終わってしまったあとも、大切に大切にする。

その淋しさも、大事にするべきなんだと この辺りで数多く生まれた「出逢い」の中から 深く学びました。

昨日の閉店発表より以降
ただの飲食店だったら起こらないようなたくさんの人の感情の渦が、JAM を取り巻いていますが
そうやって、多くの人のココロが動かされるようなお店で良かったなと 今は思っています。 

ただのコドモだった唖凛栖という名前のメイドが、山田という名のメイドとなって散るまで ← 
いっぱいお世話になったJAM akihabaraヲタンコナス部。

めいっぱいのありがとうを胸に、さいごまでしっかり見届けたいと思います!